お盆休みも終わり、新たに仕事に精をだしている頃でしょうか・・・。
まだまだ暑い日が続きますが、体調管理に気をつけましょう。
今日は、こちらの事務所がある
千住
のお話をしたいと思います。
「江戸四宿」というのは、江戸と他の町を結ぶ五街道の最初の宿場町。
「千住宿」「品川宿」「板橋宿」「内藤新宿」があります。
江戸というのは、18世紀には人口100万に達する、なんと世界最大の都市です。
それほどの大都市の莫大な物質、人、通信、それに文化の出入り口が、4つしかないとすると・・・、
江戸四宿は、いつも異なる人や物、文化を迎え、ダイナミックに変化する町だったといえますね。
「千住宿」・・・
旧街道の道端をそのまま残すにぎやかな商店街を歩くと、タイムトリップさせられるまち、千住。
震災戦災を免れた江戸期の風景も残り、明治大正昭和平成と、新旧入り混じり時代時代の表情を町なかに残しています。
建物ばかりでなく、狭い間口に奥に細長い町割りもそのままです。
そして、千住といえば「蔵」です。千住には今も、幕末から近代までの約50棟の蔵が残っています。
現在も倉庫や住居として現役で使われているものもあります。
四宿のなかで千住宿は、家の数や人口が一番多い宿場町として栄えました。
なぜなら、千住には、やっちゃば(野菜市場)が江戸開府の1603年以前よりあり、野菜の江戸への入り口でもあったし、また隅田川を利用した舟運があり、川魚の集積地でもあったなど、宿場の仕事以外で生計を立てる人も多かったのです。
江戸には有名な「えんま堂」が66ヶ所あったというが、四宿という江戸の入り口ではそれぞれ立派な閻魔像があり、今も残ってます。
昔は江戸の出口であった四宿。そこから始まるそれぞれの街道沿いに、幾つもの宿場に人々が集まり町になり、今に至るんだなあとつくづく感じました。とはいえまだまだ知らない土地は多く、行ってみたい場所でもあります。
町や坂の名前、道筋の成り立ち・・・少し調べてみると、21世紀になっても江戸は意外と近くにあるのかなと思いました。

まだまだ暑い日が続きますが、体調管理に気をつけましょう。

今日は、こちらの事務所がある



「江戸四宿」というのは、江戸と他の町を結ぶ五街道の最初の宿場町。
「千住宿」「品川宿」「板橋宿」「内藤新宿」があります。
江戸というのは、18世紀には人口100万に達する、なんと世界最大の都市です。
それほどの大都市の莫大な物質、人、通信、それに文化の出入り口が、4つしかないとすると・・・、
江戸四宿は、いつも異なる人や物、文化を迎え、ダイナミックに変化する町だったといえますね。
「千住宿」・・・
旧街道の道端をそのまま残すにぎやかな商店街を歩くと、タイムトリップさせられるまち、千住。
震災戦災を免れた江戸期の風景も残り、明治大正昭和平成と、新旧入り混じり時代時代の表情を町なかに残しています。
建物ばかりでなく、狭い間口に奥に細長い町割りもそのままです。
そして、千住といえば「蔵」です。千住には今も、幕末から近代までの約50棟の蔵が残っています。
現在も倉庫や住居として現役で使われているものもあります。
四宿のなかで千住宿は、家の数や人口が一番多い宿場町として栄えました。
なぜなら、千住には、やっちゃば(野菜市場)が江戸開府の1603年以前よりあり、野菜の江戸への入り口でもあったし、また隅田川を利用した舟運があり、川魚の集積地でもあったなど、宿場の仕事以外で生計を立てる人も多かったのです。
江戸には有名な「えんま堂」が66ヶ所あったというが、四宿という江戸の入り口ではそれぞれ立派な閻魔像があり、今も残ってます。

町や坂の名前、道筋の成り立ち・・・少し調べてみると、21世紀になっても江戸は意外と近くにあるのかなと思いました。
